A Prayer for Napa, Sonoma

A Prayer from ATSURO (distant-earth.org admin) to some friends in Napa, Sonoma.

Time Crystal

I know…,
We’re all gonna die someday and reach to break up into pieces
Although that’s a fact of life…,
I don’t wanna forget how I feel now, right now, the present
when my heart stands still

So far, How many innocent but impermanent dreams
we had made then destroyed?

In the tunnel where the exit cannot be seen, Nobody can stop breathing
Now, here you shouldn’t say you want to die

Time Crystal, you live it
Time goes to all the shores like the ocean
It will change your destinies in various directions

Time Crystal
Time is like a lightning bolt.
Shake the earth run through the starry sky
In the hearts of people, going to create light flowers of Love and farewell

Time Crystal, our hears be one in it.
May this song (my son AOTO composed) bring some rain to California.

ATSURO

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Gandhi’s Sculptors Workshop 2013

Atsuro Seto (せとあつろう) participated Gandhi's sculptors workshop

 

1930年、ダンディの地におけるガンジーの「塩の行進」が、インド独立運動の出発点となった。

今回それを記念する公園建設計画の一環として、イギリス、日本、チベットほかインド国内外から、40人の彫刻家が公募され、当時の行進参列者たち各人を塑像によって再現し、保存する公開事業が、2013年11月から12月の期間、インド国立工科大学ボンベイ校で実施された。

2013年12月、インド工科大学ボンベイ校で行われた
Dandi Marchers’ Sculptures Workshop
(ガンジーの行進を彫刻によって再現するワークショップ)に招待され、上の写真のように、粘土像を制作してきました。また、私が日本から持っていった3Dマンダラを現地の人たちと組み立てデモンストレーションを行いました。

瀬戸敦朗

以下のページは、オフィシャルサイトです。
Dandi Marchers’ Sculptures Workshops 2013
以下にはそのときの写真があります。
http://www.flickr.com/photos/dandimemorial/sets/72157637261250246/

 

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The Ocean Flotilla Environmental Art Project

Ocean Flotilla by Haruko Okano

The Ocean Flotilla Environmental Art Project by Haruko Okano

Someone gets your message on a paper-ship? To pacify the recent stormy world, Send your prayer to the sea. The reply from drifting point will be counted on the page. Ships are ready! Check the above URL. 9/15 is the deadline for sail.

千艘の紙船に手紙を乗せ,バンクーバー,グランビル島から海へ.9月15日〆

http://www.oceanflotilla.blogspot.com/

荒れる世界を宥る(なだめる)祈りのメッセージを,千の紙船に乗せて海へ.
上記ページ末のメイル・アドレスにあなたのブログURLとメッセージを送ってください!
日本語でOK! 来月半ば 9月15日 締め切りです.
漂着した先から送り返される応答が上記ページに追記されていきます.

紙船は用意されています:
http://www.flickr.com/photos/oceanflotilla/

(Here, posted by Atsuro Seto)

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About REDI ネパールにおける太陽光発電プロジェクト

“Sun Horse” プロジェクト名「太陽の馬」計画

ネパールにおける太陽光発電,地域活性化プロジェクト運営報告
REDI: Renewable Energy Development International 再生可能エネルギー開発国際事業団
Dennis Ramsey 統括責任者デニス・ラムズィー
http://www.redi-org.com/
http://www.redi-org.com/projectspage.html

チウォン僧院 (Chiwong) http://chiwongmonastery.com/ は、エベレスト直下の谷あいに建つ仏教僧院である.その地域に暮らすネパール山間民族の中心的な集会所を兼ねた複合施設として,1923年に建立された.

1999年10月,我々,REDI 再生可能エネルギー開発国際事業団は、同僧院の大居住区のおよそ全域を照らせる総数108個の電灯とその電源となる太陽光発電 (=PV: Photovoltaics) システムの設置を完了した.石工,電気技術者,そして一般作業員の総員15名からなる現地クルーと共に,満月の夜の直前の三週間のうちに全工程を完了した.

108という数は,仏教徒にとって最高のラッキー・ナンバーとされる.仏教経典には,大悟し,輪廻を脱したはずの仏陀が,自らは既に戻る必要のない娑婆世界に,あえて108体の化身もしくは転生仏となって繰り返し現れ,様々な時代の衆生を救ったと記されている.僧院の複合的施設のあちらこちらを照らし出すために必要な光源の数が最終的に108ぴったりだったという事実は,単に偶然の出来事であっただけかもしれない.だが我々が周到な計算の上に用意したソーラー・パネルの配列サイズが,1馬力ちょうどであったことと,この地域の仏教徒たちが折々に希望と祈りを込めて空高く掲げる旗の名が,「風の馬」 (rlung-ta)であったことなど,何かしらの因縁を感じずにはいられない.かくして,プロジェクトの名は「太陽の馬」“Sun Horse”となった.

我々は、この計画を成功させるために,綿密な設計プランを練った.僧院の一年を通じた日照条件の変化や各部屋の夜間の利用状況等に注目し,理想的な光量を算出するとともに,現地共同体が引き受け可能な財政的援助や労働力の提供の規模を想定しながら,修正を重ね,準備にはかなりの時間を割いた.

シェルパ族 (Sherpa) は、地球上,最も高い山エベレスト周辺の高高度地域で生活する少数民族である.シェルパ族の社会構造は,ネパールが外国人旅行者を目当てに観光と登山産業に国家を上げて力を入れ始めた1955年前後を境に劇的に変わった.これは短期的には共同体に富をもたらしたが,残念なことに、その恩恵に預かれた幸運な若い人たちのほとんどが,やがて首都カトマンドゥーへと転住していってしまったのだった.そこに行けば,電話もファックスも今ではインターネットもある.当然,電気は来ているし,我が子にだけはきちんとした教育を受けさせてやることも出来る.

シェルパ族の元々の家々,それぞれの家系の集合体として具現化されてきたところの民族共同体.それを末永く維持していくための,無償の労働の担い手であるべき者たち,まさにそうした若き世代の社会的,財政的な貢献の伝統は捨て去られてしまったのだ.彼らが故郷に背を向けた瞬間に,シェルパ民族のかけがえなき文化遺産はただただ滅び行くだけのものへと貶められ,そこには幼少の時の古き善き民族文化の残り火がひたすら灰になっていくのだけを見守り,その番人として立ち尽くすだけの貧しき愚か者たち,老人たちだけが村々に置き去りにされていくのだ.

REDI は,1993年に私デニス・ラムズィー Dennis Ramsey が創立した非営利の環境保護団体である.すでに,この僧院以外にもHP45の地域とHP54の地域の内の三つの主要な僧院に太陽光発電照明システムを設置した実績があり,また地域(HP75)管轄の歯科クリニックに循環水式温水器の設置も行ってきた.

大局的な環境保護の実現のためには何が最も効果的かを考え,我々が下した結論が,再生可能エネルギーの採用であり,それを各地域の公共施設に備え付け,それぞれの施設の環境設備の水準を底上げしてやること.それによって地域住民がより快適かつ頻繁に施設を利用できるようになれば,結果としてそれが環境保護の重要さに気付かせることになる.

初めに太陽光発電による照明設備をChiwong僧院に設置しようとした具体的な理由として,僧院というものが,この地域固有の宗教に基づく社会教育の要である以上,これによって僧院内の集団的健康管理の水準が高まれば,地域全体の生活環境もそれを手本として向上していくはずだという見込みがあったからである.

腸内寄生による病気の次に、地域病として頻発する病が,換気の不十分な閉鎖的な室内で灯油を燃焼させ,それを照明とすることによって起こるものである.呼吸器疾患,潰瘍性角膜炎,視力の低下,等々の発症率が極めて高い。

この僧院区域の全僧侶たち尼僧たちを対象に光熱費を調査した結果,彼ら僧院生活集団全体が月々に燃やすケロシン灯油の総量はおよそ90リットルにもおよび(無きに等しい暖房費は含まないまま),毎年およそ1000ドルの費用をこれに費やしていることがわかった.太陽光発電システムの耐用期間から見積もって,その間, 36,000リットルの灯油を燃やさずに済むはずなので,無用な健康被害も環境への影響も避けることができる上に,これは,30,000ドル以上の節約となるはずだ.それだけで、太陽光発電システム設置費用よりも1.5倍以上も割高である!

この地域で暮らす人々の模範的宗教施設の生活水準がこの太陽光発電システムの設置により,改善されれば,その社会的な影響は,より良い教育を受けたいと願う若者たち,人一倍,社会の改善を求めていながら,それが満たされない絶望ゆえに村を出て行こうとしていた若者たちにとっても,ここもまんざら悪くないと思わせるに足る魅力を備えた,一つの目的地となりうるのではないか.何も遠くに行くばかりが能ではない.修行僧たち自身が,しばしばカトマンズの近代的な住環境の快適さ,特に電気の便利さを話題にするのを耳にしたことがある.それに比べ,山あいの部落で暮らすことがどれほど大変かと.ほんの少しだけ電気の恩恵に預かれるかどうかというだけで.生活水準にどれほどの開きが出来るものかと.

我々はこのシステムの設置から18カ月の間,ひとまず大きな不具合が生じていないことを確認してきた.これ以前は夜ともなれば僧院のそれぞれの狭い部屋の中に閉じこもる他なかった住人たちが,互いの部屋を行ったり来たりしたり,広間で大勢で過ごしたりするのを,ほほえましく見つめてきた.今,彼らは,いつ,どこででも読みたいものを読める.料理番たちは,仕込み中の食材の良し悪しをよくよく吟味できる.夜,離れの便所に行く途中で,もう誰もつまずいて,ちびったりしなくてもいいんだ.

それに,お寺といえば何て言ったって,朝な夕なの薄暗い中,もったいぶってゆっくりやるしかなかった諸々の宗教儀式が,円滑に滞りなく,より正確に,いつでも本格的に執り行うことが出来るようになったのがいい.なぜって,儀式の段取りが書いてある経典の文字が,誰にもより鮮明に読み取れるようになり,わけのわからないままなんとなく待っているだけの時間が減ったのだ.

尼僧の1人が話してくれたのだが,夜間照明があるおかげで,日が落ちてからの部外者の訪問を闇雲に恐れる必要はなくなったということだ.以前のように誰も彼もお断りというわけではなく,夜のそんな時間にそこにいてはならないような誰かが来たとしたら,その姿は一定の距離に近づいてきた段階で確かめることが出来るし,それなりの準備をすることだってできる.彼らは急な知らせを持ってやってくる善意の人であったりもするわけだけれども,そうした夜の訪問者たちに対しても,飼い主の気持ちを反映してか,犬は以前のように狂ったように吠える回数は少なくなったという.

物を見る力,読む能力の改善に寄与すると共に,炭化水素を燃やし続けることによって起こる弊害を除去することができるようになった.何よりも個人個人の生活環境の改善に一役買えたことがうれしい.こうしたことは,すべてに影響を及ぼすはずだ: 教育レベル,食品の純度,地域の健康水準の向上、社会的な交流の機会の増加,そうして自らの地域共同体を誇れるようになれば,どこの息子もしばらく見ないと思ったら,出稼ぎに出たまま帰ってこない...なぁんてこともなくなるだろう.おまけに,以前ならケロシン灯油に費やされていたかなりの額の現金を、その他の生活必需品の購入に当てることも出来るだろう.

設営計画

対処すべきいくつかの問題があったので、この施設への電設計画はそれなりに複雑なものとなった.私の最も大きな懸念は、操作の単純性,操作する意味のない部分の不可視性,メンテナンスが簡単であること,ユーザーに専門的な理解を要求せず,何より十分な電力を供給できること,等々,本当にユーザーの希望に適う手堅いシステムを作り上げることができるかどうかということだった.

このチウォン僧院という複合的用途を持つ公共施設について,事前に調査した結果を述べると,集会堂等の共有施設,共同生活のための住空間,24戸の個室,等々が,山腹を横切る形で4エーカーにわたって広がっている.その事実から,彼らにはおよそ100箇所の照明が必要であるとわかった.それまでに電気というものを使ったことのないこの地域の一般住民にとって,電球やスイッチの類は,それはそれは魅力的なしろものであるらしく,そのため,我々は「好奇心による故障被害」を未然に防ぐ方法を考案しなければならなかった

誰が触るかわからないような共有の施設内に手の届く高さで電灯を設置する場合,いたずら防止のための外装に守られた屋外用の器具を選んだ.集会堂等の広々とした共有の空間の手の届かない高みに吊り下げる電灯は,誰の目にも留まりやすいことから,趣があって洗練されたデザインの電球を選んだ。それら共有空間の電灯スイッチは,分配器のブレーカー・スイッチ含め,すべて鍵付の箱の中に収め,特定の僧侶たちのみに鍵を預けることにした.

特に火災防止の点で,システムの安全性には細心の注意を払ったつもりだ.伝統文化の生き残りを賭けたこの挑戦において,歴史を超えた共有の文化遺産である僧院,共同体の宝を不注意によって破壊したとすれば,それはあまりにも悲劇的だろう.

我々は、僧院の室内にもその屋上にもどんな機器も設置せずにすむよう,独立型の発電室を新設することを選択した.我々はまた2つの産業用消火器も用意し,一つをこの発電室に,もう一つは僧院そのもののほうに設置した.

私は、今回のこのシステムをできるだけ人目につかないようにしたかった.というのも,この地方をトレッキングしたことのある旅行者なら気付いただろうが,贅沢なまでに永く自然との共生を果たしてきたこの地方の人々の暮らしぶりは,我々のほうこそが見習うべきところも多かった.だがそれほどに美しいこの地域共同体が,行き当たりばったりにあっちにもこっちにも据え付けられる衛星アンテナの群れに台無しにされているのを目にすることが最近は特に多い.景観だけを問題にしているのではない.感電の恐れのある電線が,窓から手の届く高さで,ぐちゃぐちゃにこんがらがってはりめぐらされている光景も至る所で見られる.地域ごとに非統一の小規模送電網が徐々に増殖していったような場所ではありがちな事態だ.

私の解決策は,ソーラー・パネルの配列,それをつなぐ配線の全てを隠してしまうことだった.屋外を伝わる部分は,コンジット配管中に全ての電気配線を束ねて埋めてしまうことにした.それに,室内配線はすべて天井の上を通した.そうやって,何一つ人の目につかないようにした.
私は,元々の僧院の外観を出来る限り損ねないようにと肝に銘じていた.ただどうしても二箇所だけは,頭上を電線を渡す必要があった.というのも,険しいジャングルに溝を掘ることは不可能だったのだ.これら二箇所の頭上配線は,この地方では見慣れたものであるところの,チベット伝来のタルチョ(祈祷旗)に見せかけるように工夫した.風にはためく無数のタルチョを結ぶこれら二本の線が,実は電線だとは,あえて知らせなければ,誰も気付かないはずだ.

電気の原理に無頓着なユーザーたち

もう一つ,的確な対策が必要な重要な問題があった.それは,今回のユーザーたちが,電力について全く何の予備知識も持っていないことだった.彼らは,電圧も電流もわからないし,もちろん直流も交流も区別がつかないのだ.この地方では,誰かが互換性のない電気器具を,例えば直流電圧12ボルト用モーターのプラグを,交流電圧220ボルトが来ているコンセントに差し込むくらいのことは朝飯前だ.規格の合わないプラグはあっさりとむしり取られ,剥き出しにされた電線の先はコンセントの中に無理やり突っ込まれる.

解決案としては,完全に密閉されたシステムを設置することだった.つまるところ,電気器具やテレビのプラグを間違っても差し込ませないよう,コンセントは設けない.だが,これはこれで解決したとしても,さらなる問題が残っていた.

後々,僧侶たちの誰かが自分で,あるいはどこかしらから,それなりに電気の知識のある者を連れて来て,皆に請われるままに分配器の中をいじり,そこから好き放題に無数のタコ足配線を始めてくれたとしたら?あるいは予想通り,なあに電球ソケットから直接電源を取ればいいのさ!と思いつき,市場でソケットにぴったり合うアダプターを見つけて来たら?いずれここを立ち去る我々は,そこまで考えておく必要があった.これを解決する方法は,多少手間のかかるものとなってしまった.

コンジット管から出た配線は,そのまま壁を突き抜けて,室内へと入っていくわけだが,我々は,この配線を招き入れるそれぞれの個室の内部壁面に,鍵のかかるジャンクション・ボックスを直付けし,その中に0.5アンペアのブレーカーを仕込んだ.我々の220ボルトのシステムでは,これは各個室ごとにおよそ110ワットを供給をする。これはスパイク電流抑制のための抵抗器を通しつつ,個室内の3個の15ワット電球型蛍光ランプすべてを稼動させるに必要十二分な電力量である.ともかくどんな原因にせよ,室内の負荷がこれを少しでも超えると,同じ室内のブレーカーが落ちるので,僧院全体の電設の保守を担当するラマLamaが,部屋に呼ばれ,原因が究明できた時点で,ブレーカーを復帰させることになる.

正直であろうとすることは,ここでは非常に高い価値を持つ.だが,悪戯好きの悪餓鬼たちや,無知,無関心故に予想外の操作をする人たちから,システムを保護する仕組みを,念のため何か一つくらいは用意しておかなければいけないと思ったのだ.かくして,個々に小さなブレーカーを取り付ける事で,全ての使用者たちに電力の公正な分配を保証できることともなった.

我々は,各部屋に最新の電球型蛍光ランプを設置することに決めた.なぜなら,これらは標準的な白熱電球の25%の電力消費量のままで,よりいっそう明るく,可視光色の再現範囲も広い.それによって我々のシステムの・サイズもコストも,劇的に節約できる.だがこれを選んだのには,もう一つ大きな理由がある.

遅かれ早かれ電球が切れれば,その部屋の誰かさんは自分で取り替えてみたいと思うかもしれない.バザールまで出かけ,とりあえず取り付け金具の形状さえ合っていれば何とかなるだろうと,そこで一番ありふれたインド製の白熱電球のとにかく一番明るそうなやつを勧められるままに買ってきてしまう.それは如何にもありがちなことだ.

バザールで手に入る小さめの60ワットの電球1個でさえ,最終的に我々が使うことに決めた15ワットの電球型蛍光ランプと比べると4倍よけいに電気を食らう.もしこの普通の,昔からよくあるタイプの裸電球を相当数取り付けたとしたら,そこにかかる負荷は,到底受け入れられるものではない.単純な解決策は,米国標準型のネジ込み式ソケットとそこから垂れた紐を引っ張って点けたり消したりする形式のスイッチに統一するということだ.これにはいくつか理由がある.

まず第一に,このソケット一体化のスイッチを使うことに決めてしまえば,ソケットから天井伝いに壁のスイッチまで行って帰ってくる余計な配線を仕込む手間ひまが一切省略できること.第二に,もっと心配だったのが,我々がいなくなってから,彼らが昔ながらの白熱電球をたくさん買い込んできて,次から次へと電気を大食いするそれと付け替え,ブレーカーをボンボン落としてくれることだ.大騒ぎする姿が目に浮かび,これはどうにもやりきれない.そこで名案だった.これらネパール標準の裸電球は,インドに倣ったバヨネット式(差込みピン固定式)ソケットにしか,どうやってもはまらないので,あらかじめネジ込み式ソケットに統一しておけば,後々苦労がないというものである.

とはいえ,この人里はなれた僧院全体の電灯を,我々が単に一時的な思い付きのみで,ネジ込み式電球に統一していったのだとしたら,この国ネパールの,どこまでいってもインドからの輸入商品が支配的な流通市場の現状からして,この選択は遅かれ早かれ,大失敗だったということになっていたに違いない.それも次に挙げるような,我々を安堵させるに足る嬉しい現実が,もし無かったとしたら...である.

幸いなことに,今日,中国の国内市場に流通しているのは,220ボルト用の米国標準型のネジ込み式の基盤である.しかも中国では既に最新式の多種多様な電球型蛍光ランプが多く作られているのだ.我々は,これら最新式の電球を1個1ドルの格安の値段で、チベットとの国境域で店を開く中国人商人から,大量に取り寄せることができた.ご想像のとおり,彼らの品質管理は良いとはいえなかった.ともかくも,念のため多めに取り寄せたうちの65%がちゃんと使えたので,まあそんなものだろうと諦めた.これらの電灯は,9ワットから15ワットまでの電球型蛍光ランプの寄せ集めである.そして必要な数,108個はあったのだ.

我々がすぐに気付いたのは,この僧院のユーザーたちは,15ワットの電灯以外には目もくれないこと.ほんのりとした演出的な明るさなんてものが欲しいわけではなく,迷うことなく明るいほうを選ぶ.どれほど明るい生活を恋焦がれていたかがわかるというものだ.

僧院の厳格な生活習慣に沿って,時間帯ごとに彼らは確実に居住空間を移動するので,僧院内の電灯がすべて同時にオンにされることはない.そもそも何かと忙しい祭時期の夜毎の電灯使用のピーク負荷が,直流電圧24VDCとして,だいたい40アンペア程度で収まっている,これはだいたい960ワットの照明量すなわち電灯65個分をいっせいに灯した勘定である.祭の時期をはずれると夜間の電灯使用量はぐっと下がり,毎夜3~4時間の使用を見込んでも,およそ375ワット(電灯25個分)である.

また,この地域では、懐中電灯とラジオ用に非常にたくさんの乾電池が使われている.これらの電池は使い終わると,ポイと無造作に地面に放り投げられている.この辺りの多くの地域で,村はずれの至る所,耕地と地続きの場所に電池が投げ捨てられているのが目に付く.やがて錆付き,地中に埋まったそれらは,じわじわと収穫物の中に紛れ込むのだ.この低レベル環境汚染を抑制するために、我々は2台の Saitek 社製充電器 smart charger を台所の食料品置場付近に設置し、単1形と単3形 NiCad 充電池をそれぞれ100個ずつ置いてきた.実際,この地域で最も頻繁に購入される物品の一つが,ケロシン灯油と食料に次いで,懐中電灯とラジオ用の電池なのだ.このための出費も今回,節約できるようになった.

仮面舞踏の振り付けを始めよう

僧院への太陽光発電設置の工程は,僧侶たちが年一回の仮面の舞踏祭のために、同院内でそのための準備を行っていた追い込みの3週間と重なった.

マニ・リムドゥ Mani Rimdu は,この地域の主な僧院の全てで,毎年,秋に演じられる.それは仏教伝播以前のチベット土着宗教ボン教 Bon にあった誤った教えを,仏教が勇気を持って説伏していく姿を描いた中世の道徳劇である.毎年,過去の重要な出来事を繰り返し演ずることで,この地方で暮らし続ける民族の先祖たちとの絆が,あらためて思い知らされる.シェルパ族がチベットからこの隔絶した地域に移り住んだのは,400年前に遡る.つまり彼らが伝えているそれは,チベット仏教のより初期の正統な形態といえるはずだ.その踊りは,彼らがエベレスト山の南麓に移住してきた当時の最新のチベット史がどのようなものであったかを物語っているのだ.

我々,電気工事関係者のほうの振付けも,僧侶たちと尼僧たちとの一つ一つの電灯をどこに設置したらよいかの相談に始まって,人夫たちの手配,ケーブル埋設用の溝を掘る道筋の決定,変電室建設作業への着工と,まさにてんてこ舞いだった.

地元の少年たちは,偉いことに自ら進んで溝堀りの作業を買って出てくれた.そうして来る日も来る日も一日中の作業を大した弱音も吐かずに手伝ってくれたのだ.およそこのあたりの子供たちは誰もみな元気一杯で,常に笑いを振りまいてくれる存在だった.

幸い,数キロ離れた場所でネパールとスイスが共同で開発に当たる水力発電公共開発事業団から,彼らの電気技術者のうち七名を,我々のケーブル配線作業と各種電気部品の取り付けのために臨時で雇い入れることが許された.彼らは非常に経験豊富で,どうして欲しいか希望の大筋を伝えた後は,もうそれ以上を口を挟む必要はなかった.私は,前もって電工一人一人に行き渡るように,作業に必要な工具一式を用意していた.ここでは,まとまった数のまともな工具がなかなか手に入らないのを知っていたし,彼らにはそれを買う余裕もなかったからだ.その後,すべての作業を完遂した彼ら各人には,またいつ必要になるかわからないから,それらの工具一式をこれからもずっと持っていてくれと告げた.ツール1式とは次の通り:ワイヤー・ストリッパー,ネジの大きさ種類に合わせて先端の取替え可能なドライバー,カッターナイフ,高度に絶縁された電工プライヤー,2巻のスコッチ絶縁テープ(Scotch T-40),そして,相当量の結線キャップ.

発電室と配電操作盤

私は,下流の村に住むタマン族 Tamang の石工たちの集団を雇い入れ,9×9フィート (2.7X2.7m) の床面積の石製の発電室を建ててもらうことにした.特にその屋根は,屋上に備え付けられるソーラー・パネル平面が太陽光線に対して直交するよう,現地エベレスト付近の緯角(北緯27度59分17秒あたり)の傾きを持ち,その上さらにも太陽が南に傾く冬場までを考慮して,これに5度を追加して,屋根全体が南に向けて起き上がる片流れの波形屋根を指定した.着工の数週間前までには必要な石材が届いていたので,現場に到着した石工たちは,すぐに仕事に取り掛かり,たったの5日間で,小屋を完成させてしまった.我々は,僧院の敷地の中でも北のはずれの,使い道のない区域を建設用地として選んでおいた。天から届けられる限りの日照量に対して,屋根の向きは緯角も振りも百点満点の合格点で,屋根より一回り小さいだけのソーラー・パネルも屋根とよく馴染んで,ほとんど目立たない.

去る11月の某日,直流電圧24VDCにおいて230アンペア時の総合入力を得るため,もしくは6キロワット時(有効電力量)を得るために,快晴連続状態で13時間を計った.高度は11,000フィート(3,350m)で,冷涼で大気の状態も穏やかであったので,我々のソーラー・パネル配列は,公称出力以上の性能を発揮してくれた.

我々はまた,組み立て済みの配電操作盤を輸入するより,適当な部品を買い集めて,現場で組み立てるほうを選んだ.これにはまず,デジタル計測機能とバッテリー温度検知機能を具えたトレース社製コントローラー Trace C-40 を選択した.またいかにも相性の良さそうな同社製のDC/ACインバーター Trace 2424e (直流電圧12VDCから交流電圧240VACへと変換可能)をこれに組み合わせてみた.今回は,電灯照明以外,何も稼動させる予定はないので,この擬似正弦波(変形サイン波)インバーターは手頃な値段で,十分な仕事をしてくれるはずだ.僧院がいずれ施設の規模を拡大することも考えて,これらの機器は両方とも,予想される入出力負荷以上の十分すぎる許容量のものを選んだ.まあ,トレース社製品が最高の選択であるとまでは思わないが,カトマンズ市内の地元ディーラーは,これくらいの規模になると,他の選択肢を一切取り扱っていないし,2年間の製品保証と保証期間後もそれなりのアフターサービスが望める点が魅力だったからだ.

近くの郡区に出向き,大工に気密性の高い箱を二つ作ってもらった:一つは,配電操作盤収納用.もう一つがバッテリー複数を納めておくためのものだ.漏電,水害等を懸念して完全な密閉性を望んだが,結局どちらの箱にも,配線の出入り口以外に,空気抜きの穴が必要とわかり,ドリルでいくつか大穴を開けることになった.配電操作盤は組み立て完了後,発電室の内壁に掲げて取り付け,そこから引っ張り出した配線の束を金属製のコンジット・パイプにまとめて通し,その状態で敷石を敷き詰めた床下へともぐらせた.結局,全てアメリカ標準規格に従って施行した.

とんでもない重さのそのくせ何とも華奢な貴重品,10基のシーメンス社製ソーラー・パネル Siemens SP75 を屋根の上に設置する作業は,ほとんど全く地獄のようだった.ともあれ,どうしたって一度だけは,その地獄のような困難をかいくぐる以外なかった.発電室の外壁に立てかけた状態で,10基のパネルを2×5配列で固定し,各々を配線で結び終えると,いよいよその時はやってきた.

あっちやこっちの方言と方言とが飛び交い,会話が成り立っているような,いないような,8人の寄せ集めの人夫たち全員で力を合わせ,屋根の向きに沿ったまま,いったん壁際から離れるために,20フィート(6メートル)ほども,恐る恐る動かした.地面にソーラー・パネルの角が当たりでもすれば,簡単に割れてしまうので,ひどく神経質になりながら,ゆっくりと地面に水平になるまで傾けたところで,持ち直し,体制を整えた.さあ,7フィート(2m強)四方の屋根の上へどうやって乗せるかだ.

これは,我々,多民族,小編成の,寄せ集め部隊にとっては,馬鹿げているとしか言いようのないほど,難しい仕事だった.それに後から知ったんだが,よそから来た連中の中に一人お調子者がいて,地元部族の石工たちに向かって,でたらめな指示を出し続けていたと言うのだ.一瞬のミスが命取りになるような状況で,知りもしないこの地方の言語を,右も左もあべこべのまま,怒鳴り続けていたそうだ.

でっかいソーラー・パネルの一枚板は,いったいどこに向かおうとしているのか誰にもわからないまま,もう少しで崖っぷちから落っこちるところまで行ったんだ.

バッテリーの設置

19日間に及ぶ設営計画の最後の仕上げとして,バッテリーの設置を行った.バッテリー貯蔵庫は,120Ah(電流120アンペアを1時間流せる容量),直流電圧12VDCのクラッド式(管内極板式の)長寿命バッテリー,計12個によって構成される.これら複数個のバッテリーは,公称システム電圧として直流電圧24VDCの総電圧を得るために,直列/並列を適宜組み合わせて配線される.50パーセントの充電状態 (State Of Charge) に毎日のバッテリー循環サイクルを制限することで(有効電池容量を50パーセント程度として活用した場合),直流電圧24VDC時,およそ360AHの実効蓄電能力を備えていることになる.

これらのバッテリーは,酸剤で満たされていて,一個につきおよそ75ポンド(34Kg)もの重さがある.やっと抱えられるくらいの石ほどの大きさで,それが小柄な女性ほどの重さを有するのだ.これらのバッテリーは,一人一個ずつ,強靭なポーターたちの背中に背負われて,4日間かかって,チウォン僧院に届けられた.各々のポーターには,万一のための中和剤として一人一箱の重曹(炭酸水素ナトリウム)が与えられ,決して倒したりしないように,一貫して荷物の直立を保つようにという厳しい指示が為された.

ちなみに,我々の必要資材の全ては,カトマンズからジリ地区(Jiri)までトラックで輸送した後, 50人のポーターを雇い,まるまる4日間かけて,僧院まで運び上げた.これを一日分に換算すると,まるまる200人足分を現地経済に投入したことになる.もう一つ選択肢があったとすれば,これらの必要資材をまるごとヘリコプターに積み込んで,カトマンズからたったの45分で届けさせること,それももちろん出来たはずだ.そのほうが簡単だし,そうしたところでコストはほとんど全く同じくらいしかかからなかったに違いない.だが,そうしたら,お金はすべて特定の個人が経営する一輸送会社のふところに転がり込むだけだったろう.

必要資材と経費の内訳:

(1) 10枚のシーメンス社製ソーラー・パネル(光起電PVモジュール) Siemens SP75
5,940
(2) トレース社製DC/ACインバーター(直流・交流変換器) Trace DR2424E
1,450
(3) トレース社製充電コントローラ Trace C40
250
(4) 12個のヴォルタ社製120Ahバッテリー Volta 120Ah
1,950
(5) 電灯と取付け具
1,350
(6) 電工用品
(ジャンクション・ボックス,錠,配線ワイヤー,ケーブル・コンジット,ブレーカー,避雷針GFID,工具,その他)
2,630
(7) 消火器
130
(8) 労賃
1,500
(9) 輸送費用と苦力代
1,300
(10) 臨時出費
1,500
合計
20,630ドル

いよいよ除幕式

僧院生活に入る際,僧は戒(誓い)を立てる.いくつかある誓いのうちの一つは,独身を貫くべきこと.もう一つが,土を耕さず,あるいはまた商売その他の労働に勤しむ事によって現世的対価を得ようとしないこと.彼らは神聖なもう一つの世界を生きているのだ.しかし我々は、はからずもたった一度だけ表立った形で彼らの手を借りてしまったことがある.村人みんなのプロジェクトを手伝うことができたと,僧侶たち自身は喜んでくれたのだが.

それは倉庫から丘の上の変電施設までバッテリーを運び上げることだった.丘までの道程は見た目にはわずかの高低差しかないが,もうすでにそこは限りなく空気の薄い世界一高い山,エベレストのふもとなのだ.それに我々は作業が追い込み状態に入ってからというもの,知らず知らずのうちにも精神的にもいっぱいいっぱいだったのだ.彼らは、電気がやってくるのをそれはそれは楽しみにしていてくれたし,自分たちも何かしらの形で作業を手伝いたいと本心から願ってくれていた.彼らは自分たちの判断で、僧院あげて村をあげての仏教祭の仮面舞踏の準備が忙しくなる前に何とかしたいと,彼ら自身で自由時間をやりくりして,まとまった時間を作ってくれていたのだ.

その瞬間はやってきた.村人らから見たら,有り難くも賢くもいったい何事が始まったのかと思ったに違いないが,あれよあれよと言う間に修行僧たちは,一つの儀式と呼べるまでに美しくも統制の取れた行列を形作り,当時まったく消耗しきっていた我々の代わりに,12個の石のように重たいバッテリーすべてを丘の上まで担ぎ上げてくれたのだ.我々の疲れ果てた様子に,今手伝わないでどうする?と戒を破る覚悟までして,我々に彼らの法力を貸してくれたのだった.

結果として,電灯が灯る前の最後の行いに,彼ら僧侶たちすべてが自らの手を直接下したことは,象徴的なまでに,有り難くも神聖な儀式と呼ぶに相応しいものとなった.我々は,僧侶たちの神聖な法衣や素肌が,世俗の,強いバッテリー液に侵されて,万一にも変色したり,やけどしたりしないように,あらかじめプラスチック製の覆いでしっかり包んでおいた.これは、自家発電システムの慎重な取り扱いの重要性,その厳格な適用というものを,彼らにまさに素肌で直感させるものとなった.というのも,我々がそこを立ち去った後は,彼らこそが,バッテリーのメンテナンスをしていかなければいけない張本人たちであり,電気取り扱い責任者となるのだから.

そこに集結した僧侶たちの行列は,それから1時間というもの熱心に我々の仕事振りを観察し続けた.我々が各バッテリーの配線を終えて,仕事を完了するまでの間である.

支援の現状と将来的な展望

このような遠隔地に置かれた独立型システムの長期にわたるメンテナンスは,予期せぬ問題をもたらすことがある.たとえ我々が,何を思いつくか知れたものではないユーザーたちのとんでもない使用方法を見越して,システムの使用を制限する予防措置をとってあるとはいえ,遅かれ早かれ必要となるバッテリーの交換のこととか,いずれ電気回路のどこかしらが焼け落ちる可能性があることも考慮し,その徹底した周知が必要だと感じた.

この件について,我々はチウォン Chiwong 僧院保存委員会に相談の場を設けてもらった.彼らは僧院の経営を見守る立場の,この土地の大口の施主たち10人からなり,彼らの多くが比較的裕福である.彼らは,REDIがプロジェクトを開始した当初より,それはそれは歓迎してくれていたので,我々はメンテナンスの重要性について彼らに訴えた.彼らは、怠慢や僧院の経営の浮き沈みによって,せっかく灯った明かりを万一にも絶やすことがないようにすると約束し,早速,有志たちの布施によるメンテナンス基金の開設が決定した.2,000ドルの預金口座が開設され,必要な時期が来るまで手を付けずに置いておくこと.やがてその時が来たら,利子だけで何とかしたいという意向である.10年先までを計画の一区切りと見て,その頃までにはバッテリー列1式の買い替えが必要になることを考慮しても,これなら元金に手を付けなくとも利息だけで十分そうである.

その他の諸々のメンテナンス費用は,元来のプロジェクト始動基金から引き出し,これに当てる.基金の引き出しには,監査役3人の署名が必要である.ここで,これまでに,本プロジェクトへの寄付と協力を申し出てくれた数多くの賛同者の名前を次に挙げたい.

スイスはジュネーブの,ジャン・ピエール・ミショー (Jean-Pierre Michaud) 基金.本プロジェクトはこの基金より,95%の資金援助を受けている.残りの貴重な 5%は,オレゴン州ユージン市のユージン/カトマンズ姉妹都市委員会から頂いている.これも相当な額である.

現地の電気会社 Saleri/Chialsa Electricity Company (SCECO) のプリー・ラマ氏 Phuri Lama は,REDIが電気技術者の現地調達に苦労していた時,寛大にも彼の会社の電気技術者たちを緊急的に派遣してくれた.

エベレストの玄関口の一つ,飛行場のある村,パプル Phaplu でホテルを経営する R.P. ラマ氏 R.P. Lama には,現地作業員たちの手配,契約代行,もめごとの調整役と,何から何まで面倒を見てもらった.

チウォン Chiwong 僧院保存委員会の議長のテンジン・ツェリン・ラマ氏 Tenzin Tsering Lama は,太陽光発電システムの将来的な老朽化を見越して,設立された前述のメンテナンス基金のために,村中から布施を募ってくれた.

SCECO 社のクル・ナラヤン・シュレスタ氏 Kul Narayan Shrestha は非常に優秀な現場主任であり,電気技術者たちの善きリーダーであった.

そして私の現地での善き相棒,本プロジェクトの助手を務めてくれたオンゲル・ラマ Ongel Lama,この男は大した男で,非常に勉強熱心なことは当時から承知していたが,やがて彼はたった一人で,同じ村の三戸の一般家庭に太陽光照明システムを取り付けることになる.

ヒマラヤの山陰に咲く無数の花のごとく

チウォン Chiwong 僧院に電力を供給するという共同体の夢は,ついに実現した。かって,このかけがえなき共有の知的財産,重要な公共の施設の外部からの隔絶は,止まることを知らない歴史の流れの中に,ゆっくりとだが確実に色褪せ,遅かれ早かれ消滅していくことだけを運命づけられてきたもののようだった.周りの世界が,昨日までのゆるやかな昼と夜の時間のバリアを追い越して,もはや止めようもない猛烈な勢いで突き進んでいく中で.Chiwongその他の大僧院というものは,現代世界の隅々まで見回した上で,いわば本当の聖域と言える.Chiwong僧院の仏教文化は,時に暴力的なまでの力ですべてをなぎ倒して行きさえする西洋文明のタイム・マシーンとは,長く全く接触することなく,健気にも今日まで自らの意志で,その伝統を維持し続けてきたのだ.

ああ,あなたにも彼らの笑顔を見せてやりたい.一新されたこの僧院を一目見ようと,そこでまた懐かしい顔ぶれに会えるのを楽しみにしながら,はるばる集まってくる住人たちの顔,顔,顔.本当に正直で,チャーミングで,何とか手助けしてやりたいと思わせるような,守るべきものを守り続けてきた人たち.

我々からすれば当たり前のように思える,ただ単純に電灯を灯すという行為によって,彼らの個人的,総体的な環境が,劇的なまでに改善され,僧院建立の元々の目的の一つであるところの,地域共同体の公的利益の促進,無形のそれが更新される瞬間に立ち会えたのだ.

僧院の住人たち,守り手たちは,昨日まで僧院内の薄暗がりの中に隠されていた真実をその目で見つめ直し,その目で照らし出すことができる.集会堂の共有スペース,共同の宇宙.そこで夜遅くまで繰り広げられる集会のありさまはいくつもの光に照らし出され,それを遠くで見つめる村人たちの心にも消えない火を灯すことになるだろう.

僧侶たち,教師たち,教え子たちは,経典を,教科書を,読みたいものをはっきりと読み取ることが出来,そして彼らはやがて理解するだろう.これらのごく単純な現実的変化は互いに相俟って,地域共同体の基本的な価値を増大させ,今まで以上にそれを強化するにちがいない.

しかも重要なことの一つとして、僧院はもう大量のケロシン灯油を買い込む必要がなくなるということだ.ポーターにも,もうそんなものを担がせる必要はない.何か他のもの運び入れてもらおう.慣れない市場の中を燃えの良いランプを探し回ったり,調子の悪いランプをつかまされて,直し直し我慢して使うこともなくなる.灯油を燃やすことによって起こる,視力の衰弱,潰瘍性の角膜の炎症,呼吸器系の障害,等々も,廃れるべきそのテクノロジーと共にすべて過去のものとなるだろう.煤煙によって,寺院壁画や古くからの経典類が徐々に確実に駄目にされてきた事実については,言うまでもない.

都市文明から見放され,伝統文化存続の危機に陥っていた古典的村落共同体の集会施設へと,最先端のシリコン技術と創造力を振り絞って,近未来的なまでに新型の照明設備の設置を試みる.そしてこれが,現地住民の社会的な結合力を高め,彼ら自身の中に眠っていた希望の力を活性化させる,いわば触媒のような役割を果たすことができるなどと,一体誰が想像できただろうか?これこそ地域開発への先端技術の応用の一つの理想的形態と言えないだろうか.

尼僧院のソナム院長が,私に言った言葉が印象的だった,

「私たちの村へ電気がやってきて,電灯が初めて灯った時,それはまるで深い森の闇の中に咲き広がるシャクナゲの花の群れのようだった…」

チウォン僧院 (Chiwong) http://chiwongmonastery.com/

REDIは,a 501c3 に分類される非営利的団体で,その運営は,今これを読んでくださっているあなた方のような理解者の公的な寄付によってのみ成り立っています.詳しくは,我々の新しいウェブサイト http://www.redi-org.com をご訪問ください.我々がこれまでに行ってきた様々な企画とその運営のあり方を知っていただく目的で,そこには3つの自家発電プロジェクトの記事と,今回の「太陽の馬」プロジェクトを10分の長さにまとめたビデオ・ドキュメンタリーが用意してあります.(訳責: 瀬戸)

ネパールにおける太陽光発電,地域活性化プロジェクト運営報告
REDI: Renewable Energy Development International
再生可能エネルギー開発国際事業団
Dennis Ramsey
統括責任者デニス・ラムズィー
http://www.redi-org.com/
http://www.redi-org.com/projectspage.html

P.S. by Atsuro Seto (Admin)
2014年秋、私たちは現地を訪れるために国際チームを組んだ。メンバーは私、瀬戸敦朗と息子の蒼音(アオト)。そして、1970年前後の現地に暮らし、当時の様子を克明に記した “Rhythms of A Himalayan Village” 著者の Mr. H.R. Downs。 インターネット黎明期からネパールの文化財の調査と保存の必要性を訴え続けてきた AsianArt.com の Mr. Ian Alsop。 ドイツ人女性歌手の Ms. Annika Hillebrand。現地僧侶の Ven. Ngawong Tashi はコーディネーター、インフォーマントの役を負ってくれた。 そしてトラベル・エージェンシーの Samye Travels とそのスタッフのシェルパたち数名である。

我々は、カトマンズから現地最寄のパプル空港へ飛び、ジュンベシ村を中心に、周辺地域を見学して回った。上記本文中のデニス氏ゆかりのチウォン僧院には祭りの期間中、メンバー全員で小さな宿坊の一室に泊まり、寝食を共にした。

デニス氏の同伴はかなわなかったが、現地を訪れる前から、彼は我々に注意を促していた。太陽光発電は、これまで全く電気の届かなかった地域に光と動力と情報の力をもたらし、一時代というもの相当の成果を収めてきたが、現地のように日照時間のきわめて短いヒマラヤ山間部では、この先、大きな技術革新でも無い限り、頭打ち状態であること。それでも太陽光発電により、いったん電力の必要性・重要性を実感した現地共同体は、現在、大小さまざまな規模での水力発電の導入・効率化を急速に進めているということであった。

実際、パプル飛行場から、このチウォン僧院、その奥のジュンベシ村のセルロ僧院や、さらに奥のトゥプテン・チョリン僧院など、視察中、いくつもの水力発電の施設を目撃した。小さいものは用水路に仕掛けた手作りの「みずぐるま」と呼べる程度のものから、大きいものは、国外からの継続的な援助を受けて、地域の水の流れそのものを変えてしまう規模の本格的なものまでさまざまであった。その管理も、村の職人一人によるものから、多国間事業の規模まで、優先度や利権の存在を含めて、またさまざまであった。

もう一つ二つ、非常に驚いたことだが、2014年当時、すでに村人の一人一人、僧や尼僧の一人一人までもがアイフォン・タイプの携帯電話で国内外に散らばる家族友人たちと連絡を取り合っていたこと。そしてどの僧院にもヘリポートが整備され、重要人物たちの移動、物資の運搬に日々活用されていることだった。参照:http://missoulian.com/lifestyles/territory/on-the-roof-of-the-world-time-takes-a-different/article_9dba8e14-bf5c-585c-9f80-870a27901e31.html

ネパールでの1ヶ月ほどの共同生活の後、我々は解散したが、それから半年後、カトマンズ周辺を中心に、ネパール各地を大きな地震が連続して襲った。(April 2015 Nepal earthquake)

現地もかなりの被害を受けたことは、”Junbesi School Earthquake” “Thupten Choling Earthquake” 等をキーワードにして検索をかけると、画像や動画で確認できるだろう。私の息子が村の子供たちとサッカーをして遊んだ Junbesi School も被害に遭い、2016年現在、村はずれに仮校舎を立てて復旧中である。

デニス氏は地震の直後から支援活動に奔走していたが、同時に彼の10数年来の悲願であった新型水力発電機 — ヒマラヤの渓谷に設置しやすく、吸引効率の良い小型水力発電機の開発を急ぎ、それに成功した彼は、2015年8月に特許を取得している。SAHT (Suction-augmented hydropower turbine)

以下のビデオは私たちの現地滞在当時の様子である。ビデオの0分47秒あたりで、ジュンベシ村の学校前の通り、1分43秒あたりで、チウォン僧院にデニス氏が設置したソーラー・パネルを見ることができる。

瀬戸敦朗

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shadow of the cresent sun


20pages of Manga by Atsuro Seto

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Thapkey Lama from Nepal

Thapkey Lama passed on 2006

REDI: Renewable Energy Development International
http://www.redi-org.com/
Dennis Ramsey

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Hope – Alessandra Chiappini

Hope (希望)

Alessandra Chiappini
アレッサンドラ・キアッピーニ

2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災に遭われた日本の皆様へ.

日本の皆さん,こんにちは.
私の心は今,あなたがたと共にあります.日本を襲った巨大な災害に心よりお悔やみを申し上げます.

ここのところずっと私は,あるべき理想とは正反対のものになっていくこの世界のありさまを,何とか表現しようと創作を重ねてきました.私たちを取り囲む環境のはかなさを思い,人類の頽廃について考えながら:現代人にとっては,お金だけがこの世のすべてになってしまっているのではないかと.(この数年来,廃墟や遺物,洪水等をテーマとしてきたのには,そんな理由があります).

ところが何ということでしょう.そんな時に,日本に起こった今回の出来事は,想像を絶していました.希望はあります.あの時から,原子力はもうこれまでのように多くの国が競って推進しようとするものではなくなったのです.今はどうか耐えてください.新しい日本の再建のために,皆さんが力を合わせ,今まさに奇跡を巻き起こしつつあるのを,世界の人々が見守っています.

Hello Japan, my heart is near yours, I am very sorry about your immense troubles.

I have been painting about the world going upside-down, thinking about the environment and about the human decadence:it seems to me that only money exist to mankind nowadays.

But what happened to you is beyond any imagination. Fortunately nuclear power is not so appreciated now in many countries.Hold on, you are doing miracles in the reconstruction.

Alessandra Chiappini
アレッサンドラ・キアッピーニ
http://www.chiappini.net/

See her work history at her site:
http://www.chiappini.net/opere_pa_3.htm
(Below are rough translation from Italian to English and to Japanese).
以下に挙げるのは,彼女本人のウェブサイトにある画歴解説の抄訳である.

『大洪水』(il diluvio) 2011
「今日まで生きてきた私たちも今はもう死につつある.まだ何とかなるような気もしているけれど.」T.S.エリオット(T.S.Eliot)著『荒地』より.”Noi che eravamo vivi stiamo ora morendo con un po’ di pazienza” (We who were living are now dying, with a little patience.) of T. S. Eliot “La terra desolata”(The Waste Land)

『頽廃』(la decadenza) 2010
生命の環境を見殺しにする態度が,そのまま人類の質的な没落を映す鏡のよう.

『廃墟』(macerie) 2009-2010
廃墟にたたずんで,自分の顔だろうと手足の気に入らないところだろうと,何度でも整形し続ければいい.何度でもやり直しがきくはずと自分に言い聞かせなが ら.ちょっと髪型を変えるくらい気軽に.そうすることで,きっと何かしらの役に立っているはず.地球の半球を宿とした西欧文明の衰退のきっかけを作るく らいには.

『終わりなき焦燥』(inquietudini) 2008-2009
終わりなき焦燥とは,頽廃,傲慢,貪欲,そして自然破壊といった西欧文明の崩壊の危機に瀕してもおさまることのない渇望を意味する.

『空気,土,水』(Aria terra acqua) 2006-2007
私たちの目の前にあるこの世界は、話のわかる神様のように都合よく私たちのために何かをしてくれるわけではなく,ましてや人間の勝手な考えに沿うように用 意されたものでもない.昨日も今日も,そして明日も,常に燃え盛る炎をその内に宿しており,どうにかすると狂ったように燃え広がり,どうにかするとおさま り消える.

『ドロミーティ山群』 (dolomiti) 2005-2006
別名,青白い山々とも呼ばれる,その山々の名は,それらを形作る岩石ドロマイトの名が,その発見者たる18世紀の地質学者のドローミュの名前にちなむこと による.その名前の由来はともかく,ここで鑑賞者の心はそこからさらにも飛翔して.アレッサンドラ・チアッピーニの描き上げた作品世界の中へと誘われる. 彫刻家の手によって意図的に切り刻まれたかの矢に,鋭く尖って連なるその山頂の異形をもって,おそらく世界で最も有名な山々であろう.

『ルスラスコの卵,記憶と謎の狭間で』(L’uovo di Lusurasco) 2003-2004
芸術家としての彼女が,自身のその目で直接見たものに触発されて,次から次へと何かを創造し続けている,没入のまさにその瞬間に立ち会って,何か言うべき ことがあろうか.単なる人物画とも風景画とも静物画とも呼ぶべきではない.自然物の断片をならべた構成,これまでに見たことの無い作品の群れ.おそらく無理に尋ねれば,彼女なりに一定の順番で発展的 な創作の動機を並べて解説してくれるだろうとは思うけれど.

『偉大なる母』(Grande Madre) 1999-2002
偉大な母とは、古代ギリシャ文化以前の地中海文明に発祥を持つ,生と死の両方を支配する女神のことであり,理想の「イタリア女性像」にして,”Potnia”(女神,女君,貴婦人のこと).すべてのものを見渡し,不足が無いか見守る.夜空に浮かぶあの月のように.さあ,お月様から水を引い てきて,命の大地を濡らすのだ.そこから動物や植物,ありとあらゆるものが産み落とされ,偉大なる母は,その面倒を見ることを厭わない.

『永劫回帰』(Eterno Ritorno) 1995-1998
ニーチェの「永劫回帰」の思想によれば,何が何でも生きようと切望する盲目的な意志とは,生きとし生けるもの全てが生来持っている,生命に共通の本能的な 性質であるという.それは,いつ果てることなく,世界のあちこちで今も起こり続ける人間同士のむさぼりあいと権力闘争の歴史そのものでもある.植物は、動物 の肉となり,やがて人間の中にも実を結ぶ.それは一筋縄ではいかない混沌の物語であり,積み重ねられる過ちの歴史と,失われることの無い未来への希望, この世界,この地球という惑星,命そのものである.

『ディオニュソスの探求,彼のための祭壇』(Ricerche ed Ara a Dioniso) 1994-1995
多くの若い芸術家たちが,理性とは裏腹に,最初は絶対とりこになどならないと否定していたはずの,自分では予想もしていなかったある一つの方向へとひきつ けられてゆく.自らが秘めた抗いがたい情動に目覚めることによって.しばしば先人が,あるいは預言者たちが,そこから先は,芸術家としての地位も名誉も残 らない,魔の淵が待っているだけだと叫び,選ばれたものに与えられた現世的な役割を果たしてさえいれば好いものをと,どんなに呼び戻そうとしてもだ.

『ディオニュソスの祭壇』(Ara a Dioniso) 1994
芸術とは,恐るべきまでに圧倒的な「美」の中へと,自らを捨てて没入しようとする,衝動的な力を言うのだとすれば,彼女にとってこの恐ろしいまでの「美」 とは,すなわち,ディオニュソスそのものである.ディオニソスこそが初めて彼女に生の神秘を垣間見させたのだ.そこから始まったのは,究極の真実を自分のも のにしたいという止むことの無い衝動であり,熱狂的かつ終わりなき無慈悲な戦いである.

Alessandra Chiappini
アレッサンドラ・キアッピーニ
http://www.chiappini.net/

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Uragano – Alessandra Chiappini


Uragano (嵐)

Alessandra Chiappini
アレッサンドラ・キアッピーニ
http://www.chiappini.net/

解説:
アレッサンドラ・キアッピー二の作品の多くが,それ自体,神話的,人類学的な原型を思わせるものである.複数の素描作品や描画断片をばらばらにして組み合わせ,一個の確固たる芸術作品として再構築し,そこに命を吹き込む.彼女はこの手法そのものによって,これまで制作の様々な過程で捨て去ってきた何か,進化の歴史の様々な過程で葬り去られてきた神話的な何かを今,現代に呼び起こそうとしているかのようだ,野菜が生命潮流の循環の中で動物や人間となって生き続けるように.

The work of Alessandra Chiappini is often inspired to mythologic or anthropologic archetypes and She tries to evoke them through compositions of many drawings or pieces of drawing reassembling and forming a solid unity.So the vegetable becomes animal and human in a stream of vitality.

2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災に遭われた日本の皆様へ.

日本の皆さん,こんにちは.
私の心は今,あなたがたと共にあります.日本を襲った巨大な災害に心よりお悔やみを申し上げます.

ここのところずっと私は,あるべき理想とは正反対のものになっていくこの世界のありさまを,何とか表現しようと創作を重ねてきました.私たちを取り囲む環境のはかなさを思い,人類の頽廃について考えながら:現代人にとっては,お金だけがこの世のすべてになってしまっているのではないかと.(この数年来,廃墟や遺物,洪水等をテーマとしてきたのには,そんな理由があります).

ところが何ということでしょう.そんな時に,日本に起こった今回の出来事は,想像を絶していました.希望はあります.あの時から,原子力はもうこれまでのように多くの国が競って推進しようとするものではなくなったのです.今はどうか耐えてください.新しい日本の再建のために,皆さんが力を合わせ,今まさに奇跡を巻き起こしつつあるのを,世界の人々が見守っています.

アレッサンドラ・キアッピーニより

Hello Japan, my heart is near yours, I am very sorry about your immense troubles.

I have been painting about the world going upside-down, thinking about the environment and about the human decadence:it seems to me that only money exist to mankind nowadays.

But what happened to you is beyond any imagination. Fortunately nuclear power is not so appreciated now in many countries.Hold on, you are doing miracles in the reconstruction.

Alessandra Chiappini
http://www.chiappini.net/

Continue to Hope!

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Diluvio – Alessandra Chiappini

Diluvio (大洪水)

Alessandra Chiappini
アレッサンドラ・キアッピーニ略歴:
http://www.chiappini.net/curriculum_vitae_pa_2.htm

アレッサンドラ・キアッピーニは,1971年夏,イタリアはピアチェンツァの地に,建築家ピエトロ・ベルツォーラの孫として生まれる.ステファノ・トーレの妻であり,マルチェリーノとエンリコの母.

1995年 ミラノにあるイタリア国立ブレラ美術学院 (accademia di belle arti di Brera) を卒業する.大家パウロ・バラテラ P.Baratella 及びルチアーノ・ファブロ L. Fabro の指導の下,この時書き上げた論文:ディオニュソス神話に関する哲学的考察が高い評価を受け,以後,このディオニュソス(破壊と再生の神)は彼女の主要なモチーフの一つともなっている.

今日まで,毎年,着実に創作発表を重ね,ピアチェンツァ,ミラノ,ベニス,フローレンス等のイタリア主要都市はもとより,ウィーン(オーストリア)、デュッセルドルフ(ドイツ)等ヨーロッパ各地,そして、東京やトロント(カナダ)等での個展,グループ展の実績をもつ. 2006年には子供のための科学読み物 “Psofo, nananana e i loro amici” のイラストを担当.ピアチェンツァにおける美術教育をはじめ,社会的活動への参加にも意欲的である.

Alessandra Chiappini
アレッサンドラ・キアッピーニ
http://www.chiappini.net/



Alluvione (洪水)

 



Terzo millennio (3千年紀)

 



Rovine (残骸)

 


Alessandra Chiappini
アレッサンドラ・キアッピーニ

2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災に遭われた日本の皆様へ.

日本の皆さん,こんにちは.
私の心は今,あなたがたと共にあります.日本を襲った巨大な災害に心よりお悔やみを申し上げます.

ここのところずっと私は,あるべき理想とは正反対のものになっていくこの世界のありさまを,何とか表現しようと創作を重ねてきました.私たちを取り囲む環境のはかなさを思い,人類の頽廃について考えながら:現代人にとっては,お金だけがこの世のすべてになってしまっているのではないかと.(この数年来,廃墟や遺物,洪水等をテーマとしてきたのには,そんな理由があります).

ところが何ということでしょう.そんな時に,日本に起こった今回の出来事は,想像を絶していました.希望はあります.あの時から,原子力はもうこれまでのように多くの国が競って推進しようとするものではなくなったのです.今はどうか耐えてください.新しい日本の再建のために,皆さんが力を合わせ,今まさに奇跡を巻き起こしつつあるのを,世界の人々が見守っています.

Hello Japan, my heart is near yours, I am very sorry about your immense troubles.

I have been painting about the world going upside-down, thinking about the environment and about the human decadence:it seems to me that only money exist to mankind nowadays.

But what happened to you is beyond any imagination. Fortunately nuclear power is not so appreciated now in many countries.Hold on, you are doing miracles in the reconstruction.

Alessandra Chiappini
アレッサンドラ・キアッピーニ
http://www.chiappini.net/

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水の道 Water path – ダウンズ氏 H.R. Downs 紹介

a pile and a whirl

水の道 Water path

画友 H.R. ダウンズ氏と交わしたカリフォルニアの地下水についてのやりとり

H.R. Downs (ヒュー R. ダウンズ) : カリフォルニア在住.画家,写真家,文筆家.OWL ファウンデーション・リーダー.

OWL ファウンデーションとは,
Open Space: 共有の空気環境の維持
Water Resource Protection: 水資源の保護
Land Use: 土地利用の監視
の頭文字とフクロウの語呂を合わせて,カリフォルニア州ソノマ郡 (Sonoma county, California) に発足した環境法人である.ソノマ郡内で,公的なお墨付きを与えられて行われる乱開発,産業用水の限度を超えた汲み上げ等により,深刻な水不足に見舞われている地域や,やがて同様の危機的状況に陥りかねない地域について,民間レベルでの水資源の保護を訴え,意識の向上を図ろうとするもの.水というものが有限なものであるという認識を持ち,旧態依然とした頑なな地域政策のありかた,住民たちの知らない間に条例化されていく地域地下水脈管理計画の実態に疑問を投げかけ,住民自らが主体的に関わって行こうというもの.

「何が無くとも何とかなるもんさ.だけど,水の代わりになるものだけは絶対に無いんだ.ガソリンや電気が無くても,俺もお前も何とか代わりになるものを見つけてやっていけるはずだ.少なくとも俺たちはな,その時は,そうするべきなんだ.足があるんだから歩けばいいし,自転車にも乗っちゃいけないなんて言うわけじゃないんだ.この俺が馬が大好きだってこともあるが,つい最近まで多くの人間,多くの種族が,本当に長いこと馬と共に暮らし,馬に乗る生活をしていたってことを忘れちゃいけない.お前の家だって,つい最近まで,牛やヤギを飼っていたって言うじゃないか.ずいぶん昔の話だって?まあいいさ.とにかく会いたい友達がいれば,自動車以外のどんな手段を使ってだって,どんなに長い時間をかけてだって,必ずたどり着こうとするだろう.友達なら待っていてくれるさ.考えてもみろよ.こっちが出かけるときにはもう相手は待っていてくれるんだ.いつものようにな.だってそれが友達っていうもんだろ?友情は電気の速さを超えてるんだ.電気が無ければ無かったで,ロウソクを灯して読みかけの本を読み直したり,お前みたいにギターを弾いたっていい.今回の地震で何か必要なものがあるかい?そうだな,お前の場合,ガイガー・カウンターを買うよりは,息子に一生物のギターでも買ってやったほうがいいのかもな.とにかく,生きる気力さえ失わなければ,本当に必要なことは何だってできるはずさ.だけど,水の代わりになるものだけは,今これを失えば,どこを探したって決して見つからないんだ.え?ガソリンだって!ガソリンが無けりゃ逃げたくても逃げられないって.うーん言葉が見つからん.」

ダウンズ氏はこの5~6年,水の大切さについて,常々語ってきた.実は俺は今回の原発騒ぎの前までは,ダウンズ氏の言うことを本気で聞いていなかった.自分のこととして理解できなかったからだ.人の羨むような輝かしい経歴を棒に振り,カリフォルニアで馬に乗って暮らすカウボーイ,ダウンズ氏が,地下水の汲み上げについて,自治体とその認可を受けた産業とを相手に戦い始めたと聞いた時,ドンキホーテのようだと思った.大丈夫なのか?と思った.俺は俺で,この5~6年,地元の御神輿保存会の役員として,村の使いっぱしりのような役を続けてきて,自分を殺しながら,日本の伝統文化のあり方について体を張って学んできたつもりだった.今回の放射能汚染でようやく俺は気付いた.ダウンズ氏は,村のドンキホーテ,日本のドンキホーテとなれと俺たちに教えてくれていたのだ.

「俺たちはみんな好むと好まざるにかかわらず,同じ一つの船に乗り合わせているんだ.これは今はまだ,喩えにしか聞こえないかもしれないが,限られた水ということを考えてみてほしい.干上がった川に船を浮かべて,その上でアメリカ人の俺と日本人のお前とでけんかでも始めてみるかい?そうじゃない.俺たちは敵同士じゃない.俺たちは今みんな,昨日までの人間がしてきた無節操な水の消費,その累積的な結果を問題にすべき時期にさしかかっているんだ.これは本当に深刻な問題なんだよ.

みんな,水 (H²0) は有って当たり前と思っている.人間の体は水でできている.ありとあらゆる生命が水から出来ているものだから,在ってくれるのが当たり前のものだから,水については常にそこにあるものとして,誰も見向きもしない.どこかの誰かが水が無いだの何だの騒いだって,自分と関わりのない所で起こっているうちは,誰も考えたくもない類の話なのさ.

地球という惑星は儚くも、この大切な水という液体を無限に産み出してくれるわけではない.飲用に適する新鮮な水というものは、実は地球という閉じたシステムの限界内で(まさにその環境に頼りながら),自然にリサイクルされるところの,巡るめく,ただの汚い水に過ぎないんだ.今,この世界で手に入れられる水の量というのは,どんなに欲張ったとしても,二万年前に存在したのと全く同じ量の,同じ水でしか有り得ないんだ.自然界は、人間のために新たに水を作ろうとなどはしてくれない.人間が,生命が,その素と出来るのは,今あるだけの限られた量の水だけなんだ.」

OWLファウンデーションは、ソノマ郡 (Sonoma County) の全体計画の一部として水資源についての項目を策定するための会合,それに出席した者の中から,志を同じくする個々人が集まって設立された環境法人である.この団体の監査役を引き受けた8人の主要メンバーには,地質学者や水文学者その他の専門家たちが名を連ねており,情に訴えるだけの団体ではない.

2006年2月に,OWLは,同郡ロナート・パーク市 (Rohnert Park) の2005年度の水源調査報告書に対して,その不備を問う訴訟を起こした.産業用水の汲み上げにより枯渇が懸念される500世帯以上に対して,市政側が科学的な実証を怠ったまま,無根拠に水量は確保されていると結論付け,代替水源の提示もないままである.これは最新のカリフォルニア州法 (SB 221) に定められた地域開発認可のための必要条件を満たしていない,と.

2006年6月の公判で,OWLの訴えを認める判決がなされた.それは,ロナート・パーク市という一地方自治体が,市内行政域のみに限った水源の維持,地下水脈の確保を考えればよいというのではなく,誰もが州規模ないし国家的視野に立って,水資源の保持を考えていかなければいけないという新しい「掟」が実効力をもった瞬間である.

ダウン氏は言う.「BANZAI! あれは歴史的な瞬間だった.あれはカリフォルニア州全体の在るべき未来に影響を及ぼす,本当に力強く貴重な判決だったんだ.」

彼も団体としての OWL も,何でもかんでも闇雲に反対だと言うのではない.「生きていくのに必要な水にさえ手を付けないでいてくれたなら,誰が何をしたって構わないさ.今回も,俺たちの町にカジノはいらないなどと奇麗事を言ってはねのけようとしてるわけじゃないんだ.それによって交通の渋滞が起こることはあるかもしれない.子供たちにも悪影響があるかもしれない.きっと地元の商店街からはすっかり人がいなくなってしまうだろう.結果として悪いことばかり招き入れることになりかねないから,それを心配している人もたくさんいるだろうが,今ここで,俺たちが問題にしているのは,ただ一つのものだけだ.せめて水だけには誰も勝手に手を付けないでくれってことだ.」

補足すると,あらかじめ誰にとっても関心の深い公共の「水」を争点に,市民自らによって深い議論が成されるのであれば,その他の諸々の利害関係は生ずるよりも早く,前もって抑制されるはずだという「しがらみはずし」,中央突破の議会政治の本道を行く姿勢がそこにはある.

興味のある向きは,合衆国における地方自治体の役割の凋落的もしくは解消的変化の現実を,自治体法人化等をキーワードに,このカリフォルニアの水問題を足がかりにちょっと調べてみて欲しい.同じ問題を日本に置き換えた場合,市民の税によって運営される自治体と,原則市民のボランティアによって維持される自治会レベルでの経営の断絶,市民参加社会の過疎的状況は,スケールの違いを伴いつつ,確かにどこにでもあり,上から下へと次々と丸投げされるだけの貧乏くじを誰が引くか,誰に引かせるかは,自分に及ばない限り誰もが目を背けたくなる人間的現実だということも一緒だろう.工業化によって限界村落となることを免れている地域が,日本のそこかしこにある.だが,水や木々,田畑を守ることを忘れ,祭りもまつりごともほったらかしにして,独楽鼠のように知らない世界の誰かさんのためにぐるぐる「しがらみ」を回し続けるだけの地域社会というのは,既に限界村落を越えてしまっているのだ.

今回の例にみると,名目上,カリフォルニア州内での行政簡素化の弊害をあらかじめ補完する目的で州によって立てられたところの,(あるいは州という上部構造を守り抜くのだけが目的なのかもしれないが),各自治体・各自治法人のありかたを法的に規定するいくつかの新しい州法の存在に他ならぬ市民の側が着目し,いかにも正しくそれを法として読み解いた上で,議論の根拠として活用できたことは,注目すべき事実である.

一個人として,また自治体のメンバーとして,恐れず悪びれず主体的に問題を調整しようとしてきたダウンズ氏の姿.彼と行動を共に出来る頼もしい同志たちがその地方に留まっていてくれることなど.そうしたことを見るにつけ,互いへの信頼を言うのは易しいが,要は,己が他にとって信頼に足る人物であらんがために,アメリカの男たちは命を賭けるのだということを,俺は,ミスターH.R. Downs との十年以上の付き合いの中で,じわじわと確実に学んできた.

俺(瀬戸)もこの十数年で二人の子供を育てながら,日本という村の中で,俺の村という小さな地域の中での,小さなおさめ役を引き受けながら,年長者の言葉に耳を傾けながら,痴呆の母を自宅で介護しながら,見栄を捨て,生まれ直したつもりで無様に生きてきた.誰もがみんな懸命に生きている,だが何かがおかしい.互いの首を絞め合うようなまつりごとのあり方.小利口なやつから批判だけして逃げ出す.これは俺の村だけで起こっていることなのか,そう訝りながらも,腹に力を入れてすべてを飲み込んで生きてきた.そうして,今回の原発騒ぎで俺はようやく明らめがついた.案の定,田舎だけではない,日本中のどこでもかしこでも誰も彼もが幼さを引きずったまま無我夢中で生きているだけなのだということを.人間は誰しもどこかで一度だけ,自分の命を天秤に賭けて戦おうと己を奮い立たせない限り,闇雲に生き延びようとする本能的な弱さに引きずられてしまう.その覚悟ひとつ立たないのなら,しゃべればしゃべるほど,気の迷いをさらすだけで,何人が集まろうと何一つ前には進まないのだ.

話を元に戻そう.ダウンズ氏はこれで終わったとは思っていない.

「ロナート・パーク市の現職員も近隣各市町村の現職の官僚たちも、この地方全体にまたがる水資源危機を今すぐ深刻に受け止める気などさらさらない.何とか先延ばしにしようとするだけさ.カリフォルニア州全体を見渡せば,現在160箇所以上で,AB 3030 という比較的新しい州の水資源利用規約に沿うように立案された公共の地下水保守計画が進められていることになっている.しかしこれも建前の話で,これより以前から複雑に絡み合って来てしまっている様々の事情から,地方自治体として本来ひたすらこれを遵守するしかないはずのソノマ郡政委員会が,州のこの規約を敢えて無視して事を進めてきたこれまでの経緯があるのだ.彼らは引き継ぐだけだ.一人一人ではもうどうにもならないのさ.結論として,カリフォルニア州全域の役人と住人,全ての人間が水資源保全計画の重要性を共有できない限り,自然のバランスを取り戻すことはできないだろう.結局,ただ一地域の地下水だけを問題にしていたのでは,誰かが馬鹿を見るだけだからね.全ての水源は見えない所で合流し,また分流し,全ての地下水脈,伏流水.ロシアン・リバー (Russian river) をはじめとする全ての陸上河川とつながっていて,どこからどこまでが誰かのものという人間的な所有の概念には,もともとそぐわないものなんだ.だからこそ,ソノマ郡周辺の全ての井戸の所有者たち,全ての市町村,各地方水道局,それにソノマ郡水道局協会管轄内で水を取り扱う全ての機関,つまりソノマ郡から直接的間接的に飲料水や工業用水の供給を受けている関係各社,水を扱う全ての人が協調して事に当たらなければならないということだ.実際の話,ソノマ郡は郡全体の消費水量のうち,30パーセント前後に及ぶ量を隣接するマリン郡のために供給し続けてきたのだ.その辺に個々の調整だけでは簡単にはいかない事情がある...」

ダウンズ氏は若き日の彼自身を振り返り,今は肉体はいくらか衰えたとしても,心持ちは当時も今も少しも変わらないと語る.

「俺がここ,ソノマ郡に腰を落ち着けようと思ったのは,1984年のことだったかな.妻と保養に訪れたのがきっかけだった.とにかく馬に夢中で,いつまでも乗っていたかったんだ.すっかりここの地の利,気候風土が気に入ってしまい,1990年にはバークレーからここに移り住み,馬たちの世話をして悪戦苦闘を続けるうちに,ここの住人の一人として受け入れられ,ここに骨を埋める覚悟が自ずと出来上がっていったんだ.」

田舎暮らしをしながらも,土着のしがらみを恐れ,地域の活動には一切出てこようとはしない,いわゆる別荘暮らしの芸術家たちとは肝の座り方が違うのだ.彼のカウ・ボーイ仲間からして,一筋縄ではいかない連中ばかりなのだから.何より彼らは馬と牛と見渡す限りの大地が相手なのだ.そこには人と動物,人と人とにまたがって季節ごとに繰り広げられる無数の生と死がある.

若かりし頃,ダウンズ氏は14年以上もの長きにわたって,ユニセフ (UNICEF) の任を負ってアジア各地を訪れた経験がある.見知らぬアジアの地でいつ果てるともない任務を懸命にこなすうち,現地労働者たちから一目置かれ,工場長を務めた経験さえあるそうだ.そうした中,ネパールの奥地 Solu-Khumbu 村に赴き,その谷あいの村での人々との出会い,彼らの生活を詩的に書き留めた一冊,

RHYTHMS OF A HIMALAYAN VILLAGE - H.R. Downs

RHYTHMS OF A HIMALAYAN VILLAGE - H.R. Downs

”Rhythms of A Himalayan Village” ISBN 0062502409

を1980年に出版する.この本は今もネパール・ヒマラヤを訪れるトレッカーたちのバイブルともなっている隠れた名著である.ソル・クンブを訪れてみればよい.あなたは一定の年齢以上の村人たちから尋ねられるはずだ,「ダウンズを知っているか?彼はいつ戻ってくる?」と.そこ,ソル・クンブの地で,彼が運命的に出会った世捨て人のような暮らしをする老画僧 Au Leshi からの仏教の教え,仏画の手解き,山間の寺院で繰り広げられる仮面舞踏,高台へ運ばれて営まれる埋葬の手順,等々.当時のネパール人の暮らしぶりを描いて,はったりのない静かな文体と,彼自身の手による一群のモノクローム写真は,数十年経った今も決して色褪せていない.それどころか,今となっては貴重なネパール近現代史の記録的価値さえ持つようになってきていると言える.というのも,共産主義的合理化とネパール旧来の宗教的態度とが血肉を賭けてせめぎあうような2011年現在の情勢の複雑化を,20世紀末までに一体何人が想像できていたと言えるだろう.まだほんの数十年前のことであるのに,今すでに,そうした「近過去」を記録する手立てがかなりの部分で失われてしまっていることに,ネパールの人も我々もやっと気付き始めたところなのだ.(和訳の出版を検討いただける出版社の方がおられれば,ぜひダウンズ氏または瀬戸までご連絡を).

その後,本国に戻ってからのダウンズ氏は,当時トップクラスの某社会派テレビ・キャスター専属のゴーストライターとして,ほぼ10年というもの,来る日も来る日も変幻自在の文章力を発揮し続けた.プロ・カメラマンとしても十分な実力と成果を上げてきた.その後,第一線からリタイアしたダウンズ氏は,ペングローヴ (Penngrove) の地に腰を落ち着け,いささか早い老後の隠遁生活を満喫する予定だった.馬に乗るのが大好きで,また自ら「根っからの本の虫」と言うくらいの読書好きの彼は,夜には狼の遠吠えの聞こえる小高い丘の上の一軒家で,数頭の馬たちと蔵書と最愛のパートナーと共に,つましくも贅沢に時を過ごすつもりだったのだが...まさにそのとおりの環境を手に入れて10数年.ペングローヴ在住の井戸保有者たちの起こしたロナート・パーク市当局に対する集団訴訟に加わることによって,再び否応無く表舞台に立たされることになったのだ.

「何も考えていないとしか言いようのないひどい事実に,最初はただただ呆れるしかなかった.ロナート・パーク市当局は過去25年間にわたって,それはもう相当な量の水をポンプで汲み上げてしまっており,気がついた時には,地下水位は45メートル以上も降下してしまっていたのだ.ロナート・パーク市そのものは,サンタ・ローザ (Santa Rosa) 平原の上に発展してきた町で,このサンタ・ローザ平原というのは地質学的に見て,大量の砂状質を含む土壌から成り立っており,雨水はそれによって濾過され地下水となる.郡内で最も水の豊かな地域なんだ.それなのに,市当局は行き過ぎた水の汲み上げによって,その豊かさを棒に振ってしまったのだ.その仕事振りは確かにみごとではある。今のうちに誰かが何とかしなきゃと思ったものさ.幸い心強い仲間がいてくれた.」

彼の「隠居生活」は、地元の水資源がいかにかけがえのないものであるかを住民に伝え,その意識向上を目指すOWLファウンデーションの目的のために費やされることになってしまった.ダウンズ氏の十数年間のアジアでの生活体験は,我々に得難い視座,見通しを提供する.「必要な量の水を手に入れらない時,そこでどんなことが起こるのかを目の当たりにしてきた.今にしてみれば,それは貴重な経験だった.あるいはまた、たとえ飲み水が手に入ったとしても,それがひどく汚染されてしまっていたとしたら,その後そこで何が起きるのかを,この目で,この体で体験してきたんだ.それこそ,アジアの不幸の源,撲滅しきれない風土病の温床なのだ.」

2004年連邦内務省発行の調査報告書 (http://www.usbr.gov/WaterSMART/) は,アメリカ西部では2025年までに水源が枯渇するとの警告を発している.ダウンズ氏は希望を捨てていない.「事態がそこまで悪化する前に,カリフォルニア湾岸ノース・ベイ (North Bay) 全体で何らかの対処を始めるはずだ.人間はそこまで馬鹿ではない.いずれにせよ,このまま行けば,遅かれ早かれ壁にぶち当たることになる.世界の様々な場所で目の当たりにしてきた不幸な現実が,この地で繰り返されるのを見たくはないんだ.避けようとすれば避けられることを,手をこまねいていてどうするって話さ.心配はいらない.社会的なしがらみや何や彼やで誰にもどうにもならなくなる前に,事がそれほど大きくなる前に,先手先手を打てればいいのさ.ありがとございます.」

参考:
This Japanese composition is based on H.R. Downs’ casual responses to
some articles about himself and O.W.L. written by Ms. Patricia Lynn Henley and others.

OWL foundation: http://owlfoundation.net/
Ms. Patricia Lynn Henley: http://www.patricialynnhenley.com/
http://www.metroactive.com/bohemian/07.19.06/hr-downs-0629.html
Au Leshey (Au Leshi): http://www.keithdowman.net/art/nyingmaicons/
Cultural Change and Remembering: Recording the life of Au Leshey – Eberhard Berg: http://himalaya.socanth.cam.ac.uk/collections/journals/ebhr/pdf/EBHR_23.pdf
H.R. Downs’ site: http://www.mabian.biz/

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