Hope – Alessandra Chiappini

Hope (希望)

Alessandra Chiappini
アレッサンドラ・キアッピーニ

2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災に遭われた日本の皆様へ.

日本の皆さん,こんにちは.
私の心は今,あなたがたと共にあります.日本を襲った巨大な災害に心よりお悔やみを申し上げます.

ここのところずっと私は,あるべき理想とは正反対のものになっていくこの世界のありさまを,何とか表現しようと創作を重ねてきました.私たちを取り囲む環境のはかなさを思い,人類の頽廃について考えながら:現代人にとっては,お金だけがこの世のすべてになってしまっているのではないかと.(この数年来,廃墟や遺物,洪水等をテーマとしてきたのには,そんな理由があります).

ところが何ということでしょう.そんな時に,日本に起こった今回の出来事は,想像を絶していました.希望はあります.あの時から,原子力はもうこれまでのように多くの国が競って推進しようとするものではなくなったのです.今はどうか耐えてください.新しい日本の再建のために,皆さんが力を合わせ,今まさに奇跡を巻き起こしつつあるのを,世界の人々が見守っています.

Hello Japan, my heart is near yours, I am very sorry about your immense troubles.

I have been painting about the world going upside-down, thinking about the environment and about the human decadence:it seems to me that only money exist to mankind nowadays.

But what happened to you is beyond any imagination. Fortunately nuclear power is not so appreciated now in many countries.Hold on, you are doing miracles in the reconstruction.

Alessandra Chiappini
アレッサンドラ・キアッピーニ
http://www.chiappini.net/

See her work history at her site:
http://www.chiappini.net/opere_pa_3.htm
(Below are rough translation from Italian to English and to Japanese).
以下に挙げるのは,彼女本人のウェブサイトにある画歴解説の抄訳である.

『大洪水』(il diluvio) 2011
「今日まで生きてきた私たちも今はもう死につつある.まだ何とかなるような気もしているけれど.」T.S.エリオット(T.S.Eliot)著『荒地』より.”Noi che eravamo vivi stiamo ora morendo con un po’ di pazienza” (We who were living are now dying, with a little patience.) of T. S. Eliot “La terra desolata”(The Waste Land)

『頽廃』(la decadenza) 2010
生命の環境を見殺しにする態度が,そのまま人類の質的な没落を映す鏡のよう.

『廃墟』(macerie) 2009-2010
廃墟にたたずんで,自分の顔だろうと手足の気に入らないところだろうと,何度でも整形し続ければいい.何度でもやり直しがきくはずと自分に言い聞かせなが ら.ちょっと髪型を変えるくらい気軽に.そうすることで,きっと何かしらの役に立っているはず.地球の半球を宿とした西欧文明の衰退のきっかけを作るく らいには.

『終わりなき焦燥』(inquietudini) 2008-2009
終わりなき焦燥とは,頽廃,傲慢,貪欲,そして自然破壊といった西欧文明の崩壊の危機に瀕してもおさまることのない渇望を意味する.

『空気,土,水』(Aria terra acqua) 2006-2007
私たちの目の前にあるこの世界は、話のわかる神様のように都合よく私たちのために何かをしてくれるわけではなく,ましてや人間の勝手な考えに沿うように用 意されたものでもない.昨日も今日も,そして明日も,常に燃え盛る炎をその内に宿しており,どうにかすると狂ったように燃え広がり,どうにかするとおさま り消える.

『ドロミーティ山群』 (dolomiti) 2005-2006
別名,青白い山々とも呼ばれる,その山々の名は,それらを形作る岩石ドロマイトの名が,その発見者たる18世紀の地質学者のドローミュの名前にちなむこと による.その名前の由来はともかく,ここで鑑賞者の心はそこからさらにも飛翔して.アレッサンドラ・チアッピーニの描き上げた作品世界の中へと誘われる. 彫刻家の手によって意図的に切り刻まれたかの矢に,鋭く尖って連なるその山頂の異形をもって,おそらく世界で最も有名な山々であろう.

『ルスラスコの卵,記憶と謎の狭間で』(L’uovo di Lusurasco) 2003-2004
芸術家としての彼女が,自身のその目で直接見たものに触発されて,次から次へと何かを創造し続けている,没入のまさにその瞬間に立ち会って,何か言うべき ことがあろうか.単なる人物画とも風景画とも静物画とも呼ぶべきではない.自然物の断片をならべた構成,これまでに見たことの無い作品の群れ.おそらく無理に尋ねれば,彼女なりに一定の順番で発展的 な創作の動機を並べて解説してくれるだろうとは思うけれど.

『偉大なる母』(Grande Madre) 1999-2002
偉大な母とは、古代ギリシャ文化以前の地中海文明に発祥を持つ,生と死の両方を支配する女神のことであり,理想の「イタリア女性像」にして,”Potnia”(女神,女君,貴婦人のこと).すべてのものを見渡し,不足が無いか見守る.夜空に浮かぶあの月のように.さあ,お月様から水を引い てきて,命の大地を濡らすのだ.そこから動物や植物,ありとあらゆるものが産み落とされ,偉大なる母は,その面倒を見ることを厭わない.

『永劫回帰』(Eterno Ritorno) 1995-1998
ニーチェの「永劫回帰」の思想によれば,何が何でも生きようと切望する盲目的な意志とは,生きとし生けるもの全てが生来持っている,生命に共通の本能的な 性質であるという.それは,いつ果てることなく,世界のあちこちで今も起こり続ける人間同士のむさぼりあいと権力闘争の歴史そのものでもある.植物は、動物 の肉となり,やがて人間の中にも実を結ぶ.それは一筋縄ではいかない混沌の物語であり,積み重ねられる過ちの歴史と,失われることの無い未来への希望, この世界,この地球という惑星,命そのものである.

『ディオニュソスの探求,彼のための祭壇』(Ricerche ed Ara a Dioniso) 1994-1995
多くの若い芸術家たちが,理性とは裏腹に,最初は絶対とりこになどならないと否定していたはずの,自分では予想もしていなかったある一つの方向へとひきつ けられてゆく.自らが秘めた抗いがたい情動に目覚めることによって.しばしば先人が,あるいは預言者たちが,そこから先は,芸術家としての地位も名誉も残 らない,魔の淵が待っているだけだと叫び,選ばれたものに与えられた現世的な役割を果たしてさえいれば好いものをと,どんなに呼び戻そうとしてもだ.

『ディオニュソスの祭壇』(Ara a Dioniso) 1994
芸術とは,恐るべきまでに圧倒的な「美」の中へと,自らを捨てて没入しようとする,衝動的な力を言うのだとすれば,彼女にとってこの恐ろしいまでの「美」 とは,すなわち,ディオニュソスそのものである.ディオニソスこそが初めて彼女に生の神秘を垣間見させたのだ.そこから始まったのは,究極の真実を自分のも のにしたいという止むことの無い衝動であり,熱狂的かつ終わりなき無慈悲な戦いである.

Alessandra Chiappini
アレッサンドラ・キアッピーニ
http://www.chiappini.net/

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